『桜の頃の別れ』

咲花の向かい側に、とあるクリニックがある。
その正面玄関の脇に
知る人ぞ知る『笹部桜』という大樹がある。

今年は、例年より相当早く咲き始め、
4月1日頃には満開を迎えていたようだった。
咲花に勤務して17年になるが、こんなに早く満開の笹部桜を見たのは記憶にない。

いつ満開を迎えようとも、それは本当に美しい花を咲かせる。
早咲きの今年も例外ではなく、行き交う人々は足を止め、カメラを向ける。
そこだけは、いつもと変わらない春の日常が流れていた。

去る4月3日、とある方が、そこで人生最期のお花見を楽しんだ。

彼女は終末期を生きていた。
主治医やケアマネジャー、訪問看護師と検討し
体調が良ければ という条件で、数回のデイサービスの利用が可能となった。

4月3日当日、それまでの数日間、食事も水分もほとんど
摂れていなかったにもかかわらずバイタルは極めて良好。
傾眠がちで目をつむっていることが多かったが
この日はしっかりと目を開き
ご家族やスタッフの顔を見ているようだった。
天気は快晴、風も弱く、日なたはポカポカと暖かかった。

彼女のデイサービスの利用を後押しするように
すべての条件が整った。

それに加えて、早咲きの笹部桜。
到着後すぐに桜の木の下へ行き、束の間、満開の桜を愛でた。
例年ならこの時期にこんなことはあり得ない。
予想もしないサプライズプレゼントになった。

その数日後、
住み慣れた自宅で、愛する家族に見守られながら、彼女はこの世を去った。
享年92歳。
咲花のご利用は12年目になっていた。

あの日の桜は、彼女の目に、脳裏に、どのように映っただろうか。
青い空、春の陽光、桜の香りをどんな風に感じ取っていただろうか。

我々の目には、そして記憶には、彼女の生きた証が
満開の笹部桜と共に鮮明に刻み込まれている。

桜の頃の永久の別れ。
悲しみは尽きないが、季節が巡り、笹部桜の咲く頃に、また逢える。

『桜の頃の別れ』